心と体の健康を育む沖縄の食文化を
あなたの日常に寄り添う存在に

医食同源

健やかな成⻑を支える優しい味

沖縄食材の専門卸として、東京・首都圏で本場の味を支え続けてきました。沖縄のおばぁたちが大切に受け継いできた沖縄の料理に息づく医食同源の知恵を、現代の暮らしに寄り添う形でみなさまにご提供します。共働きで忙しい毎日を送るご家族に、ゆとりある食卓のひととき。子育て世代に、⾚ちゃんや子供たちの健やかな成⻑を支える優しい味を。そして外食が難しい方々に、本場の味わいを自宅で手軽に楽しむ喜びを。沖縄の食材と料理人の想いを知り尽くした私たちにしかできない、新しい食のかたちがここにあります。心と体の健康を育む沖縄の食文化を、あなたの日常に寄り添う存在に。それが私たちの願いです。

沖縄の食文化

異なる背景を持つ料理

食文化

暮らしに根差した地域野菜や
伝統的な製法による発酵食品や発酵調味料

沖縄料理で使われる食材は、⻑い歴史の中で形成された3つの文化的背景から理解することができます。まず、琉球王朝時代から戦前にかけての王朝料理と庶⺠料理があります。前者には、薬膳的な要素を持つ伝統的な野菜が活用されています。また、中国や日本との交易で取り入れた乾物類なども重要な食材として定着しています。後者は、暮らしに根差した地域野菜や、伝統的な製法による発酵食品や発酵調味料を使用した料理が豊富です。また、身近な海産物や、家畜を余すことなく使用する料理メニューも特徴的です。次に、戦後のアメリカ統治時代には、スパムをはじめとした軍の缶詰や加工食品、調味料を使った料理や、新たな食肉文化が加わりました。これら3つの異なる背景を持つ料理が、時を経て自然に融合し、栄養バランスと経済性を考慮しながら、沖縄独自の料理メニューとして発展してきました。この柔軟な食材の受容と活用こそが、沖縄の食文化の特徴といえるでしょう。

戦後アメリカ
食文化の影響

アメリカ統治という時代が生んだ
沖縄ならではの食文化

欧米化

戦後のアメリカ統治時代、沖縄は食糧難の中で米軍基地からもたらされる食材との出会いがありました

戦後のアメリカ統治時代、沖縄は食糧難の中で米軍基地からもたらされる食材との出会いがありました。特に保存性の高いランチョンミートやコンビーフハッシュなどの缶詰肉は、貴重なタンパク源として重宝されました。これらの食材は、沖縄の人々の創意工夫により、独自の進化を遂げていきます。薄切りにしたランチョンミートを卵で包んだポークたまごは朝食の定番となり、おにぎりと組み合わせた新しい調理法も生まれました。また、コンビーフハッシュを野菜と炒めた料理や、タコライスに代表されるように、アメリカの食材と沖縄の調理法が融合した新しい料理も次々と誕生しました。当初は配給品や余剰品として入ってきた食材が、やがて沖縄の食文化に深く根付き、独自の発展を遂げたのです。現在では、これらの料理は観光客にも人気があり、沖縄の新しい伝統として確⽴しています。アメリカ統治という時代が生んだ、沖縄ならではの食文化といえます。

沖縄の食堂

おばぁたちの家庭料理

食堂

誰もが気軽に⽴ち寄れる庶⺠の社交場

沖縄の「食堂」は、戦後のアメリカ統治時代が⻑く、本土チェーン店の進出が遅かったこともあり、日本本土とは異なる独自の発展をしました。 米軍基地周辺から始まった「食堂」は、配給の余剰食材と島の食材を組み合わせて始まりました。壁には「A〜Cランチ」、本土とは異なる内容の「味噌汁」「ちゃんぽん」などをはじめ、あらゆるジャンルの料理で壁一面が埋め尽くされ、それらが手頃な価格で食べられました。観光業中心の産業構造や高い共働き率を背景とした外食文化に根付いた沖縄の「食堂」は、やがて地域のコミュニティの中心となり、店のキッチンで働くおばぁたちの家庭料理を基礎に、誰もが気軽に⽴ち寄れる庶⺠の社交場として発展し、沖縄県⺠の暮らしに⽋かせない存在となりました。さらに、WEBメディアやSNSなどの発達によって、沖縄好きの旅行者の間で人気の観光ス ポットとなった老舗の「食堂」がいくつもあります。 沖縄は人口当たりの飲食店数が全国2位を誇る島です。しかし近年、全国チェーン店の進出や後継者不足、原材料費の高騰により、多くの老舗「食堂」が次々と姿を消しています。

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